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メイシネマ祭 2022 10/08(土) 09(日) 10(月・祝)

 

「子供やあなたの家族にとって、ウイルスの小さなリスクに対してワクチンを接種するメリットはない」

 このタイトル、なんと  mRNAワクチン の発明者   Robert W. Malone  ロバート・マローン博士 の声明です。 ツイッターではあちこちで取り上げられていますが、 「報道しない自由」を行使し、 メディアは絶対に報道しません 。 以下、 https://rumble.com/vqtggl-45044373.html からの引用です。 → video --  親として、祖父母として、私が皆さんにお勧めするのは、子供たちを守るために抵抗し、闘うことです。 https://t.me/RWMaloneMD/849 元動画_子供に注射する前に https://t.me/RWMaloneMD/848 mRNAワクチンの発明者ロバート・マローン博士の声明動画に字幕を入れました。一人でも多くの人、親に見て欲しいです。 ※1:20頃にParentsと言っていますが、言い間違えていると思いますので、声明テキストのChildrenに合わせました。 Telegram:  https://t.me/Mayo97/7018 #へっぽこ @Mayo97

「土地規制法案」を廃案に! 6.15

「内閣総理大臣への白紙委任!」「権威主義の礼賛 、法治主義の侮辱だ!」「立法府は行政府の下請けじゃない!」怒 声飛び交う参院内閣委での強行採決! 国会会期末直前深夜、緊急事態条項の先取りともいえる重要土地利 用規制法が成立!   日刊IWJガイド  2021.06.16号~No.3 198号 --------------------------------------------------------- -------------   大抗議アピールが13時から参議院議員会館前で開催されます。 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック も主催 「 重要土地調査規制法案 」反対緊急声明事務局の呼びかけ 》》》》》今週中に日本の市民社会の命運が決まります《《《《 *** 沖縄スパイ戦の悲劇を繰り返してはなりません *** 野党4党は、本日15日午前9時過ぎに菅内閣不信任決議案を提出しました。 廃案にできるかどうか以下、ぜひご参加、ご協力、そして拡散を! 1.  報告とお礼 昨日6月14日の参議院内閣委員会での強行採決は阻止されました。 6月14日午後の参考人質疑の終了後に自民が「土地規制法案」の委員会採決を主張。17時40分からの内閣委理事会での自民による再度の委員会採決の主張を野党が拒否したため、与党は委員長職権で19時からの委員会(採決)をセット。 これに対して、立憲・共産は18時2分に森屋宏内閣委員長の解任決議案を提出しました。採決は15日の参院本会議でなされるため、この日の委員会での強行採決は阻止されました! 皆さんのこの間のFAX要請アクションをはじめとする働きかけが功を奏しました。14日20時から呼びかけた「 #土地規制法案を廃案に」のツイッターデモは、早々とトレンド入りし、15日午前2時過ぎの時点で5万件を超えています。この勢いをさらに強めていきましょう。 立民・共産 土地利用法案めぐり参院内閣委員長解任決議案提出 (6月14日、NHKニュース) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210614/k10013084941000.html 2. 国会情勢 上記でも報告しましたように、委員会の定例日でもない日に、しかも、参考人質疑が行われた直後に強行採決しようとするのは異例で、それほど自民党が追い詰められていることの表れでもありま

じっと我慢、“辞任”とは口が避けても言えなかった「総理大臣」!!

安倍首相が会見で語った「病状」が矛盾だらけ!「潰瘍性大腸炎の兆候」「体調異変」と説明した時期に連日会食、しかも仏料理にステーキ 引用: LITERA 2020.08.29 Hidaka 氏も 怒りの投稿 2020.08.29 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 都合が悪くなると自宅に立て籠もりだんまりむっつりで沈黙を決め込んだまま 雲隠れするのは安倍晋三の得意技 他方でよいしょしてくれる取り巻き連中とのお忍び宴会で怪気炎を挙げるのもよくやってきた 忠犬の甘利明(神奈川県選出)が「コロナ対策で、安倍首相は疲れているから休養が必要…」なんぞと不自然な声を挙げた直後慶応病院ヘ駆け込んで7時間滞在したが、一体どんなコロナ対策に励んだから疲れたのか? COVID-19 の感染拡大が続いても、「(国民の) 命よりカネだ 」と旅行奨励策を優先して前倒しで実施したのが強盗旅行(goto travel)キャンペーンだったのではなかったか? (安倍晋三の鼻先にぶら下がっていた) 総理大臣在職最長記録を更新するまでは “ 辞任 ”とは 口が避けても言えないと考え2ヶ月間 沈黙していたのではあるまいか!? 安倍晋三が握りしめて離さなかった 拉致問題 は選挙のたびに「やるやる」とは言うだけで、被害家族の悲鳴など聞く耳無し!で、不動票を引っ張り出してくれる“打ち出の小槌”に利用し尽くしてきた トランプとの約束優先で 米国製武器の大量買い 、非正社員と正社員の 経済格差を拡大させる政策の推進 ! 引用: Twitter から 収奪は  得意なんです   安倍政府 敗戦後の日本人が営々と築き上げてた セーフティーネットの根本的な破壊 医療厚生予算や教育福祉予算の大幅削減と軍事費増大 … 日本経済界では核開発を推進しながら 東電福島第1原発の事故は隠ぺい 近隣の経済小国=朝鮮民主主義人民共和国の核開発は許さないと、声高に非難するだけで、外交交渉は逃げ腰=選挙に利用するだけの拉致問題は棚晒しにして知らん顔で、 軍事的な先制攻撃力のミサイル開発に熱狂している 気違いに刃物=武器を持たせたらどうなるかは

国民を長期間苦しめてきた「安倍晋三」首相、やっと辞任!

ここまで悪法を強行してきた首相を探すのは難しい。いろいろ書けばきりがないほど挙げられる。 ここは Twitter を一つ埋め込んで、今日のニュースを記録しておくことにしよう。 「安倍首相が辞めるのは当然。寧ろ遅過ぎるぐらい。しかし、8年間の安倍政権で撒き散らされた特定秘密保護法や安保法制などの違憲立法、過労死法案等の悪法、バカげた閣議決定の数々、全く誰も責任を取っていない公文書改竄、森友加計、有権者大量買収の「桜を見る会」問題などの後片付けは当然に必要。」 https://twitter.com/Narodovlastiye/status/1299230547042947077

奪われた幼い命 ―宮森小 米軍ジェット機墜落事故― 2020/07/08 ひだか

琉球新聞は  2018年6月29日、「 1959年6月30日、うるま市(旧石川市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落した。」 記事を報じている。 かつて沖縄に移住し、基地の島の実情をつぶさに見てきたひだか氏はこの時期になるといつもこの事故のことを思い出す。この話を聞いた I氏が「確か、この事故で亡くなった子供が、最後に「papa、ママ、さようなら」といって息をひきとっていったそうです。」と返したことに触れ、次のように書いている。 ----------------------------------------------------------------------- 「パパ、ママ、バイバイ」と言った…話は、1977年9月27日午後1時すぎに空母 ミッドウェーの艦載機(米海兵隊所属の戦術偵察機 RF-4B ファントム機)が厚木基地を離陸した直後に火災を起こし、操縦士2人が脱出し火だるまとなった機体が横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田町)の住宅地に墜落し、大火傷を負いました。 3才と1才の男の子が翌日未明に息を引き取る時に「パパママ、バイバイ」と口にしたと伝えられます。操縦士2人は墜落後10分ほどで駆けつけた海自の救難ヘリが救出して米軍に戻したが、付近20戸が火災を起こし全半壊し母子3人の他市民3人が負傷。 機体は墜落から約1時間後の14時20分ごろ消火活動を手伝う市民や消防隊を締め出して米軍が回収。翌10月に米本国へ送られたと知った飛鳥田一雄市長が米大統領カーター氏に向け抗議声明を表明して電報を打ち、事故機のエンジンの返還に約1ヶ月を要したが、日本側が原因究明することはできず日米共同委員会の発表を待つほかなかったという。 この日米共同委員会は日本政府や日本国憲法の上位にあって、米軍優先の決定をする機関です。 子どもたちと一緒に瀕死の大火傷を負われた母親も皮膚の移植手術で親族だけでは足りず、一般公募をして皮膚移植をされ、子どもたちとの再会を祈りリハビリに励まれたそうですが、約1年半後に2人の子どもたちの死を知ると精神的衝撃を受けられ入退院を繰り返され心因性の呼吸困難で亡くなられたという。 「 さざれ石の会 公式ブログ 」から 遺族は母子のブロンズ像を横浜市に寄贈されたが、市は公園法の解釈をタテにして「愛の母子像」の由来を説明する碑文の設置を拒み1985年から、港が見える

5月15日、沖縄の復帰記念日に寄せて

48年前の5月15日 。___ひだか 2020/05/17 5月15日は 沖縄の復帰記念日 です。 1972年5月15日、ボクは那覇市首里真和志という所にある借家に住んで居りました。 この日は日曜日で、明け方からどしゃ降りの大雨が降って居りました。教会へ行く時間になっても雨は止む気配がなく首里バスで国際通りの牧志で下車し、安里三叉路の突き当たりの丘の上にその当時ありました真和志教会へ行きました。 沖縄戦後に首里市が那覇市と合併するまでは、真和志と呼ばれた地名が守礼門辺りから国際通りの安里三叉路辺りまでに広がる地域を含んでいました。 沖縄戦後に安里三叉路の南側の丘の上に米軍チャプレンの好意で払い下げの蒲鉾形の兵舎を会堂とする教会が創立された時、地名の真和志をとって真和志教会と名付けられたようです。 その戦後に首里市が那覇市と合併した際、真和志という地名は首里の一部に残るだけとなったようです。 その 5月15日の豪雨はお昼過ぎ頃に止みました。礼拝を終え雨が止むまでは教会で過ごしていましたが、2時半頃に国際通りへ降りて行くと、安里三叉路と牧志バス停の間の国際通りは安里川が氾濫して茶色い濁流が通りを横断しておりました。 どうやって首里へ帰ろうかを考えていたら履き物を手に持った人たちがズボンやスカートの裾を捲し上げて歩いて濁流を渡って行く姿を見たのです。そこでボクも同じように裸足で濁流を渡り、牧志郵便局前の入口で濡れた足を拭き、靴を履き直しました。 その頃はまだ車が右側通行でしたので、国際通りを経て首里や中北部へ向かうバスの牧志バス停は牧志郵便局の前にありました(現在は安里川を掘り下げモノレールの駅があります) 守礼門の西側に隣接します市立城西小の南側の借家に帰り着いたら、わが家は池の中に孤立しておりました。その池の中に建つ形のわが家には蛇も巣穴から這い出して避難中だったと知らないまま帰宅したボクが寝室兼居間に行き、天井に下がる電灯のスイッチを捻りパッと室内が明るくなりましたら、天井から見慣れない太い藁縄のような物が約50cmほどぶら下がっておりました。 「エッ何だ!?」と思って藁縄の先を見て驚きました。その藁縄の方でも驚いていたらしい。 藁縄の先に顔を向けたボクと藁縄の先っちょとの距離は30cmも離れていませんでした。