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汚染物質の海洋流出の危険性が指摘されているドーム!!


1970年代後半に建設された核のひつぎ(棺)


日高俊朗
2019年05月16日、AFP通信(配信)

太平洋の「核のひつぎ」から汚染物漏出の恐れ、国連総長が懸念

https://www.afpbb.com/articles/-/3225358

 05月16日、国連事務総長アントニオ・グテレス氏は、太平洋の核のひつぎ(棺)から
アメリカの核実験で生じた汚染物質を投棄するため20世紀に建設されたコンクリート
のドームから、放射性物質が太平洋に漏出するとの懸念を表明した。

南太平洋マーシャル諸島エニウェトク環礁ルニット島にある放射性廃棄物を投棄した
コンクリート製ドーム(=写真)。

核実験で生じた土や灰が運び込まれて、厚さ45センチのコンクリート板で覆われる。

当時は、一時投棄の位置づけだったので、その底面には何らの加工も施されていない
ことから、汚染物質の海洋流出の危険性が指摘されている。

ドームには複数のひびが入っており、サイクロンが直撃した場合には崩壊し兼ねない
と危惧する声もある。


*写真は「米国務省核兵器局が提供した1980年撮影のもの」

【歴史】
・1528年、スペイン人が発見、領有
・1885年、ドイツが占領「ドイツ領ミクロネシア」
・1914年、日本が占領
・1919年、大日本帝国の委任統治領に
・1944年、アメリカが占領
*1954年3月1日、米軍のキャッスル作戦により広島型原爆の1000倍の威力がある水素爆弾がビキニ環礁で炸裂した。この核実験により直径2km、深さ73mのクレーターができ、巨大なキノコ雲ができて、隣の環礁でも死の灰が降り注いで島民が被曝した。

その時ビキニ環礁の近海では水産庁からの許可のもとに、第五福竜丸を始め約1000隻もの日本の漁船が操業していた。

水産庁は米軍の最初の通報で「危険水域外」と判断し、操業を許可したとも言われており、「水爆実験の規模が当初の予測より大きかった」との説もある。

日本国内では第五福竜丸を除く漁船と乗組員の放射能被爆については報道協定により「他の漁船への取材活動と報道をしない」という国(水産庁)とマスコミ各社の密約で、第五福竜丸とその乗組員の他は「ビキニで放射能に被曝していない」かの如くに情報が操作され、捏造された。

神奈川県の三浦漁協に所属する漁船や、東京・築地の市場では自主的に汚染の事実が確認され、漁獲物を場内の地下に埋設し廃棄した(焼津漁協では港外の太平洋に廃棄する模様がマスコミに公開された)。

築地市場では原爆マグロの記念碑を建てる募金が全国の小学生に呼びかけられて一時市場内に建立する動きが出たが、風評被害を心配した大人たちは記念碑の建立に強く反対し、「埋設した近くの建物の壁に銅版レリーフを取り付ける」ということで妥協し、記念碑はその後に整備された第五福竜丸展示館の敷地内に建立された。

日髙は築地市場が解体される前に、銅版レリーフの写真を撮りたいと考えていたが、第五福竜丸展示館ではそれをどうしただろうか!?と気になっている。

三浦市で、及び焼津市で(その後)聞いた話では、報道前にトラック輸送した漁獲物の内、関西方面に送った1便と東京(築地市場)に送った1便は、止める指令が間に合わず競りに掛けた後だったが、他は全て途中から引き返させて積荷を回収し、地元漁協で処分したという。特に三浦漁協からは10数隻もビキニへ出漁していたためにその漁獲物の処分の件を巡って大変な騒ぎになったそうです。そうした経緯もあり、「原水爆禁止」決議も三浦市はかなり早い時期に行われたようです。

・1986年10月21日、「マーシャル諸島共和国」として独立
・1988年のソウルオリンピックに初の選手団を派遣
・1991年には世界最小の!?独立国として国連に加盟

※マーシャル諸島共和国は、領域内の放射能被曝者を含めて、毎年3月1日をビキニデーと定めて1954年の水爆実験の被害者の追悼式典を挙行しているという。

*「マーシャル諸島共和国」の在日大使館は東京都港区新橋3丁目に置かれています。

また、領域内のクェゼリン島には両国間の契約に基づいて米軍基地が置かれている。

2019/07/11 Hidaka


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