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永井 隆さんの詩 ――「いとし子よ」

 いとし子よ 永井 隆(194910月)
     
「いとし子よ。  
あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、カヤノ(茅乃)よ。お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?――原子爆弾。・・・いいえ。それは原子の塊である。そなたの母を殺すために原子が浦上へやって来たわけではない。そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。 
     
「戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしよう!    
そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくな ってくるのである。どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?」   

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
…わが子よ!         
 憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。」 
     
  「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。  
 日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」     
     
 「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノ(茅乃)よ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通して おくれ! 
たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反の叫びを守っておくれ!」    
     
「敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多 いだろう。しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?」・・・
     
「狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。・・・ 愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。」
     
「いとし子よ。  
 敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」
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「長崎の鐘」や「この子を残して」で有名な永井博士が書いた『いとし子よ』。正に今を予言していたような言葉です。まさに人類すべてへの遺言ではないでしょうか?(岡田 光也

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