「いとし子よ。
あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一( まこと)よ、カヤノ(茅乃)よ。 お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世に留めて、 ついにこの世から姿を消してしまった。 そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?― ―原子爆弾。・・・いいえ。それは原子の塊である。 そなたの母を殺すために原子が浦上へやって来たわけではない。 そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。 」
「戦争が長びくうちには、 はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、 戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、 なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。 そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、 口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。 これっきり戦争を永久にやめることにしよう!
そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、 なんとなくもやもやと戦争がしたくな ってくるのである。どうして人間は、 こうも愚かなものであろうか?」
「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
…わが子よ!
憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。 憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、 日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。 どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。 自分が実行するだけでなく、 これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、 戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。」
「しかし理屈はなんとでもつき、 世論はどちらへでもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、 戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。 そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、 世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」
「もしも日本が再武装するような事態になったら、 そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノ(茅乃)よ、 たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、 きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通して おくれ!
たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反 対の叫びを守っておくれ!」
「敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、 みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多 いだろう。しかし、 武器を持っている方が果たして生き残るであろうか? 武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?」・・・
「狼は鋭い牙を持っている。 それだから人間に滅ぼされてしまった。ところがハトは、 何ひとつ武器を持っていない。 そして今に至るまで人間に愛されて、 たくさん残って空を飛んでいる。・・・ 愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、 平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。」
「いとし子よ。
敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、 こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。 愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。 敵がなければ戦争も起らないのだよ。」
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「長崎の鐘」や「この子を残して」で有名な永井博士が書いた『 いとし子よ』。正に今を予言していたような言葉です。まさに人類すべてへの遺言ではないでしょうか?(岡田 光也)
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